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NOTE

「彫刻素材の或る一面について」

 彫刻は立体表現であるがゆえに、形態を宿すための素材を必要とし、素材を宿すための形態を必要としていると言える。彫刻素材は多岐にわたるが、近年において、私はブロンズと漆を中心に作品制作を行っている。

 ブロンズは金属であるため、固く冷たいが、鋳造時においては、熱と光を放ち、流動性を得て鋳型に流し込まれる。のち、熱と光を失い動かなくなる。漆は、漆黒という言葉があるように、黒をイメージすることが一般的であるように思う。しかし、ウルシノキを傷つけ、溢れ出てきた漆の色は、白い。白色の漆は、空気に触れて、飴色へと変わり、黒く固まり動かなくなる。

 このようなブロンズと漆の変化に、生を帯びて死んでいくような感覚を覚える。彫刻素材から感受される生と死の印象に、私は心揺さぶられている。また、こうした実感を抱えることで、素材に人間の形を与えることの意味を見出そうとしているのだと思う。

 謂わば、死んでいった素材に生きた人間の形を与えるということを、私はしている。生きていて、死んでいるような彫刻。狭間の印象の中で、現代における人間彫刻の在り方を示すことはできないだろうか。

2023年7月13日(木)

「人間を作ることの或る一面について」

 私が22歳の時、卒業制作として作ったものは、ひっくり返った羊だった(言葉にすると訳が分からないけれど、作品を見てもやはり訳が分からない、けど気に入っている…)。それが、2012年。4年後の2016年には、ひっくり返すことなく、直立のコートを着た女性像を木彫で制作した。以降、2023年に至るまで、人物像の制作に継続して取り組んでいる。
 彫刻を作り始めた頃は、ただ人間を作ったって面白くないのではないか、自分が作る必要はあるのだろうか、などと考えた時期があった。そんな中、自分の表現について模索していた最中、イタリアへ赴く機会を得た。その時見た、多くの古典彫刻は、私に人間の彫刻を作る意義を示唆し、またその原動力を与えたように思う。人間そのもののみによっても、全てを表現できるような心持ちがした。
 しかしながら、人物像は、ありきたりな題材であり、古代から現代に至るまで幾度となく表現されてきた対象である。その中で、自分が作る人物像は、何を表現しうるだろうか。
 継続して作品を発表していると、寄せられた感想などを基に、自分の作品がどのように観られているのか自覚(錯覚)するようになる。そのような自覚(錯覚)から、私が人物像を表現することで実現したいこと、できるかもしれないことについて以下のように考えた。
…混沌とした世の中にあって、人への信頼を失いかけてしまうこともあるように思います。その「人」とは、社会であり、他者であり、自分自身でもあります。しかし、優れた彫刻作品には、人は信頼できるということが真実であると、間違いではないことを思い起こさせてくれる力があると、私は思っています。おこがましくも、人が人への信頼を保つための装置として、私の彫刻作品が機能することを願っています。(個展「川島史也 -Anoter Skin-」Statement, 2023)
 大袈裟かもしれないし、些細なことなのかもしれない。でも、私にとって、大事な方向性であるように思う。

2023年7月10日(月)

「石膏の彫刻の或る一面について」

 2021年の夏、いつまでも馴染めない粘土を手に取り、塑造をしていた。最初は、乾漆にしようと思っていた作品。展覧会の締め切りが迫って、乾漆にするよりも、塑造による形態の仕事をしっかりとこなし、石膏にすることとした。
 石膏は、塑造を型取りして彫刻作品とする場合、最も基本的な、廉価で容易な方法であると言える(廉価とはいえ、それなりに…。容易とはいえ、重労働…。正直にいえば、型取りの仕事は苦手で辛い…)。しかしながら、石膏は、本制作(ブロンズ、大理石、木など)の原型として位置付けられることもある。また、石膏の質感や色は、形態を把握しやすい利点をもつが、その素材感は、素朴で材質感に乏しいところがあるように感じられる。そうした素材感のために、石膏を用いて充実した彫刻を示すためには、彫刻の本質と言える形態にこだわった制作を試みなければならないと思う。同時に、あまりに「形態の表現」になってしまうので、作者の想いをのせた「表現」として示す際には、難しい素材であると、私は考えている。私の場合なのかもしれない。
 よって、石膏で仕上げたこの作品に、私はずっと、もやもやした気持ちを抱えていた。形態にはできうる限りにこだわって制作したし、良いところはあるように思うけれど、私はこの作品で、何を表現したかったのだろうか…。言葉にしようと試みるが、たちまち離散し、するりと抜けていってしまう感覚があった。
 だけれども、今は、この作品の特質について、少し言葉を紡げるような気がする。ブロンズや乾漆は、雄弁で強さがある。石膏は静かで、優しい。私の想いや言葉、素材の主張のようなものが乏しいからこそ、観る人の想いや言葉を入れる余地がある。塑造から素材転換された彫刻作品は、押し並べて構造的にがらんどうである。この作品の空洞を満たすものが、観る人の想いであったら、とてもいい。
 この作品が持つ、そうした特質を個展会場であるSOLさんが引き出してくれたと思う。

2023年7月6日(木)

「個展:ANOTHER SKIN 挨拶文」

 人物像を作っています。ありきたりな題材、古代から現代に至るまで幾度となく表現されてきた対象ですが、私もまた、先人たちが築いてきた美術の文脈に則り、彫刻によって人物表現を試みています。

 混沌とした世の中にあって、人への信頼を失いかけてしまうこともあるように思います。その「人」とは、社会であり、他者であり、自分自身でもあります。しかし、優れた彫刻作品には、人は信頼できるということが真実であると、間違いではないことを思い起こさせてくれる力があると、私は思っています。おこがましくも、人が人への信頼を保つための装置として、私の彫刻作品が機能することを願っています。

2023年4月25日(火)

 

I make sculptures of human. As a common subject matter, the human figure has been expressed many times from ancient times to the present. I am also attempting to express the human figure through sculpture, following the context of art established by our predecessors. 

In this chaotic world, we sometimes seem to lose faith in people. The "people" are society, others, and myself. However, I believe that a good sculpture has the power to remind us that it is true, and not a mistake, that people can be trusted. I hope that my sculptures will serve as a device for people to maintain their trust in others.

Tuesday, April 25, 2023

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